柴崎山城
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兵庫県姫路市八代宮前
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姫路城の姫山から北へ、標高88mの山頂には柴崎山城(しばさきやま)があります。
2005年8月、過ぎ去る季節は戻らない。 もっと大切にしなければ、きっと教えてくれた、そんな城跡だったのかな。
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姫路城の北が八代の街、近くだと思って歩いていくことにした。
東には競馬場、西は八丈岩山、ずーと北には広峰山だね。
姫路城のまわりには、同じ運命のお城があるんだよ。 |
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永享十二年(1440)、鎌倉公方の足利持氏と京都の足利義教は仲が悪く、義教は持氏を討ちました。(永享の乱)
その後、茨城県の結城城主・結城氏朝が足利持氏の遺児・春王丸と安王丸を擁立して、茂木城(栃木県)で兵を挙げると、義教は結城氏を追討する命令を出しました。
この令で、赤松満祐は播磨の豪族を動員するのですが、男山構主・山野新藤次成明、那胡山構主・那胡七十郎頼三、嵐山城主・渋谷二郎太夫長秀、そして八代山構主・井出宗考らは命令に従わず、閉戸となり追放されました。
この井出宗考が柴崎山城(八代山構)を最初に築いたと云われています。
享禄四年(1545)、八代道慶は小寺則職が御着城へ移った後に姫路城の留守居を任され、天文十四年(1545)に黒田職隆と交替しています。 この職隆の子が黒田官兵衛です。
その後、八代道慶はここ柴崎山城に移りました。
『参考文献を参照』
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「姫路城の北」
北西から見てる、後ろには男山があるよ。
男山の北側を流れる川沿い、自転車で走る学生も汗いっぱいだね。
北へ歩くこと1.5kmぐらい、帰りはどこからタクシーに乗ろうかと思ってしまう。 |
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「八代大歳神社」
八代には大歳大明神(穀物の神)と、短羽矢大明神の二つがありました。
江戸時代に八代山に移され、明治には一つに合祀されています。
姫路城主・松平直矩が献進されたのが、この大鳥居。
すでに足引きずりながら、右側から登るよ。 |
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「行者堂」
歩きやすい道、所々には祠の道、山頂近くには弘法大師を祀った堂があります。
行き止まりかな、裏に回ってみる、ドキドキだよ。 |
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ぐるりと裏側、削平地がある。
少し早足で草ふみながら進む、反対側からの道と出会う。
そこから右へ行くと山頂かな。
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大きな岩が露出、けっこう慣れてる雰囲気なんだけど、ドキドキするね。
この写真の後、デジカメが壊れた。 いくら撮っても真っ黒。
東へ降りる、山麓近くに穴がある。 横に危険とある所、抜け穴かな、いくらシャッターを押しても映らない。
川を渡り、南へ歩く。 カメラ見るとホコリでいっぱい、手入れしてあげてなかった、早く帰ってピカピカにしてあげるよ。 |
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