白巣城
兵庫県洲本市五色町鮎原三野畑

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  「神戸淡路鳴門自動車道」の明石大橋を渡り淡路島に入ります。 そのまま自動車道を南へ、「津名一宮IC」から県道88号線を西へ、まもなく66号線を南へと走ります。 五色町の「南谷交差点」から46号線を東へ、1.5kmほどの三野畑から車で登ります。

淡路島のほぼ中央に位置する標高320m(比高220m)白巣山の山頂には白巣城(しらす)があります。

「安宅八家衆」と呼ばれ、淡路で勢力を広げた安宅氏。 「ここに来たよ、ここにいるよ」、見えない場面に小さく声を掛けてみたのです。

 
  淡路島のほぼ中央にある白巣城は、安宅氏のお城と伝わっています。

今回は和歌山県時代の安宅氏も書いてみました。
 

 


白巣城は、淡路島の略中央に位置し、先山山系の標高317mの高峰白巣山に構えられた砦で、周囲剣山、又とない要害無比の地で、戦略上最も重要な典型的な砦です。

この砦の築かれたのは、室町末期頃より戦国の風雲急を告げる時、外部勢力との抗争に利用するため築城されたと考えられます。

「味地草」に「古記に云う、白巣城は足利の末、安宅九郎左衛門冬秀二・三代居住する」と記されており、当時の状況から想像すれば、足利将軍義植が大永一年(1521)、淡路に走ってからのものと推定されます。

しかしはっきりした根拠はなく、伝説によると、城主は安宅九郎左衛門冬秀公で、今から約四百年前の天正九年(1581)11月に秀吉の淡路征伐により滅ぼされたと云えられています。

時に淡路の各城主は皆降伏したが、冬秀公只一人が従わず、秀吉の軍勢が攻め登らぬよう城の登り坂に、竹の皮を敷きつめ勇敢に戦ったが、秀吉軍はこれに火を放ち、城を焼き討ちにしたのである。

城主・冬秀公はもうこれまでと覚悟を決め潔く火中に身を投じ、自害し果てたと伝えられています。

ところで。白巣城の城郭についてみると、中世後期の築城で、城郭は白巣山の丘陵上を削平し、大小十五の台地を造り、それに空堀りとか土塁を構えていました。

台地の主なものは、本丸、東ノ丸、西ノ丸、馬責場、米倉、物見台等で櫓が築かれていたようである。

『現地案内を参照』

 

  
案内板
  車で登ってきました。 道は一台ぐらい通れる幅、でもガードレールが付いてるから安心、楽々だよ。

大きな駐車場にある「白巣城址見撮図」には切立った要害の絵、すごい城。 ロープとピッケルを取り出そうとしたけど、普通の道でよかった。

まずは左の東の丸。 次の場面を見る前に、小さな声で尋ねてみた。
 
東の丸
  「東の丸」

「来たよ、ここに居るよ」、大きな声を出すとビックリするから、小さな声で。

ここにはいなかった。

風景を見たいけど、振り返り「今度は本丸に行くよ」と声を出す。

「誰に」、分からないけど声を出す。
 

  
堀切
  「堀切」

「東の丸」と「馬つなぎ場」の間、土塁もあるよ。

「山の中、馬も大変だよね」と。 馬なら何か返事がありそう、でも音もしない。

息を静め「本丸にいるのかな」。
 
本丸
  「本丸」

よく見ると丸い木の中に小さな祠が祀られています。

戦前までは参拝者が沢山あって、日照りが続く八月には雨乞いもされてたらしいよ。

「ここですよね、本丸は」少し大きく声を出してみた。

本丸も静かに通りすぎた。
 

  
西の丸
  「西の丸」

「ここに白巣城跡、安宅冬秀の石碑があるよ、見てみて」と。

でも最後まで見えなかった、どこだったの。

急な石の階段を下りて、山麓の集落へと降りた。
 
たまねぎ
  「たまねぎ」

こんなにいっぱいの玉ねぎは初めて見たよ。

「写真を撮らせてください」と大きな声。

見えないぐらい遠くから声がした。

「いいよ」って。
 

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