白鳥構居
兵庫県姫路市実法寺

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  国道2号線、「夢前橋西」から北へ曲がり、JR余部駅を過ぎて「飾西交差点」から411号線を管生川沿いに走ります。

1kmほどで西側の実法寺の集落に入ると、真光寺あたりが白鳥構居(しらとり)です。

2005年9月、すっかり秋ですね。 自転車でのんびり、地図と風景の中、播磨風土記を探すシリーズだよ。

 
  実法寺集落の北西あたり、90m四方で周りが幅1mの溝で囲まれた所が白鳥構居の跡と云われています。

やっと見つけました、白鳥。

集落の南、飾西高校バス停留近くには飾西本陣跡がある。
姫路の地名で不思議なこともある。
 

 
領主は源頼国の末裔、小国大炊助頼福と云われ、嘉吉の乱の時に軍功があり、この地を構居としました。

のち小国十兵衛の時、白鳥山からこの実法寺の地に移ったと云われています。

天正八年(1580)、英賀城落城の時、三木家の重臣・堀内氏がこの白鳥構を頼ってきたそうです。

『参考文献を参照』

 

  
白鳥遺跡
  「白鳥遺跡」

集落の北端、山陽自動車道の「白鳥PA」辺りかな、下に碑があるよ。

自動車道の建設時、縄文・弥生時代の集落跡を発見、沢山の遺物が出土したらしい。

実は山の向こうが打越、岩崎構居がある所。

姫路市の西に「飾西」、東の方の庄山城近くには「飾東」がある。 また南の英賀城近くは「飾磨」という。
 
荒神社
  「荒神社」

播磨風土記では、狩をしていた大三間津彦命が鹿の鳴き声を聞いたので、広峰山あたりを「飾磨の郡」とした。

でも広峰山は姫路城の北、市の中央あたり、関係しそうな土地名が3方向に離れている。

ここは県道5号線の大きなスーパーの北かな。

天正八年(1580)、赤松則房が秀吉に滅ぼされ、女婿の川口三郎太夫と助四郎主従は逃れて、この地で農業を営んで余生を送りました。
 

  
斎神社
  「斎神社」

ずーと北へ走り、真光寺・実法寺を見てから集落の北端。

明治の初め、宍粟市・安志藩陣屋の解体の時、この総門を譲り受け、屋根瓦には小笠原家家紋「三階菱」の軒丸瓦がありました。

姫路市には2つしかない「千度石」、特別なことを祈願するための石らしいよ。 百度石がある所を十回でもいいのかな。
 
播磨一之宮旧跡
  「播磨一之宮旧跡」

さらに北、右の山は書写山、道路は山陽自動車だよ。

出雲から伊和大神が大和に向かう途中、宍粟市一宮町まで来て播磨の国にとどまることになりました。

その話が地名の謎を解くことになるとは。

時代が無茶苦茶なシリーズ、ここで終われないので、「つづく」だよ。
 

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