石峯寺城
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兵庫県神戸市北区淡河町神影
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山陽自動車道、三木東ICを出て38号線を東へ走ります。 淡河城を過ぎて「好徳小前交差点」から北の道1.5kmほどには石峯寺(しゃくぶじ)があり、その背後の山にはお城がありました。
2005年2月、今年も一番寒い季節は過ぎようとしてる。 南北朝時代、臨時のお城となった石峯寺城、懐かしき風景も過ぎ去ってしまうのかな。
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南北朝時代、南朝方として利用されたお城です。
お城はお寺の東側の山にありそうですが、立ち入り禁止になっていました。
お寺を一周、奥には木々の間道に石仏、五輪塔や小屋が自然のままに置かれています。 |
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元弘三年(1333)、足利尊氏や赤松円心らが京都の六波羅探題を落とし、鎌倉では新田義貞が北条氏を滅ぼして鎌倉幕府は滅亡しました。(元弘の乱)
後醍醐天皇は建武政権を樹立したのですが、元弘の乱の恩賞は公家に厚く、武士には薄かったため武士たちの不満が高まりました。 円心も播磨守護職をなくして佐用荘の地頭職のみになり、播磨は新田義貞に与えられるのです。
建武三年(1336)、九州で勢力を回復した足利尊氏は神戸の湊川で新田義貞と楠木正成を破ると、京都に入り室町幕府を開きました。
そこで後醍醐天皇が京都から吉野に移り朝廷を開いたのが南朝、ここに南北朝時代が始まるのです。
この時、足利方の円心は播磨守護職に任じられ播磨や摂津の南朝方と争いました。 ここ神戸市北区には新田一族の金谷経氏が南朝方として赤松氏の攻撃に対抗し、この石峯寺にも南朝方の僧兵が籠もったお城と云われています。
『参考文献を参照』
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「石峯寺」
南の仁王門をくぐりと参道には白壁の十輪院と竹林寺、そして石峯寺の正面に着きます。
白雉二年(651)、インドの帰化僧・法道仙人の開基と伝わり、孝徳天皇の勅願寺として栄えました。
法道仙人がこの地に訪れた時、奇妙な形の岩から大きな龍が現れました。 龍は琵琶湖から延命地蔵菩薩を神影の地に運んだ話が伝わっています。 |
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「三重塔」
室町時代に嵯峨天皇の勅願により建立され、この時代に造られた三重塔では最も大きいものの一つです。
高さは24m、もちろん兵庫県では一番高いのです。
そういえば神戸六甲の摩耶山城のページにも出てきた天上寺も孝徳天皇の勅願によって法道仙人が開かれたと書いてるよ。
もう一つ、加東郡の清水寺も推古天皇の勅願により法道仙人が建立されたとあるよ。 |
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「本堂」
そうすると加西市の一乗寺も気になる、と調べるとやはり法道仙人の開基だとあるよ。
隣の薬師堂は聖武天皇の勅願で行基が開眼した薬師佛、十二神将、日光月光菩薩が祀られています。
お城も好きだけど、神社やお寺を見るのもいいね。 南北朝時代にも建ってたんだよ、戦ってた人達も見てたんだよね。 |
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「徳川将軍尊霊碑」
明石城主・小笠原公や淡河城主・有馬公のお墓があります。
この上には沢山のお墓、思わず声に出してしまうよ。 おっ、このお方は知ってる名前。
もし話す人が一緒なら、知ってる事全部を話してるかな、と思える一人の時間をすごせるよ。 |
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子供の頃、遊んだよ。 ソフトボール、ワラの基地、あぜを壁にして石投げやスズメの仕掛け。
マラソン大会の前日にはアゼ100周と言って走ってた、今でも切り株を踏む感触は忘れないよ。
もうあの頃に会うことはないのかな、懐かしいな、全部を話せる人に出会えたらいいのにね。 |
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