この付近は、かつて構居が存在したと思われる『構江』という字名です。
住宅建設に伴い平成7年に発掘調査が行われました。 その結果、幅6m、深さ4mの堀状遺構や柵列、中世後半の須恵器、土師器、陶磁器および硯石などが出土しています。
また近年、姫路・広峰神社の社家、魚住家の屋根裏から発見された正徳2年(1712)の「小寺氏系図、黒田氏系図」の重隆のところに次のようなことが記されています。
「伝曰く下野守重隆は初は播州多可郡の庄内を領して居住す、黒田村と称す、四方に堀や土手のある屋敷があった」と、今、(正徳2年)より40年以前、この村の古老が話した、と書かれています。
これらのことから、江戸時代の地誌「播磨鑑」に記されている多田構居、あるいは「播陽古城記」に書かれている多田城が存在した所だと思われます。
『現地案内を参照』
|