四国愛媛県の河野宣高は、伊予から美濃に移り、土岐氏に仕えて一柳氏を名のりました。
天正六年(1578)、秀吉による三木城攻めでは宣高の孫・直末が功績をあげ、この播磨加東郡を賜りました。
弟・直盛の後、所領は三人の息子に分けられ、二男の直家が加東郡を相続し、小野市敷地町に代官所を置いたのが敷地陣屋、二代藩主・直次は小野藩陣屋を設立しています。
宝永元年(1704)、一柳直増が愛媛県西条市から三木市に来て、築いたのがこの高木陣屋です。
のち九代続いて、明治の藩籍奉還となり、藩士の多くは四国の西条へと帰ったと云われています。 と急に小野から三木に行ってしまいました、すみません。
『参考文献を参照』
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