鷹の尾城
兵庫県三木市福井

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山陽自動車道「三木小野IC」を降りて、国道175線(三木バイパス)を南へ走ります。 「高木IC」から20号線を東に進み、三木市役所を目指します。

勤労者体育センターの西側の高台には、鷹の尾城(たかのお)があります。

 
  別所長治の弟・友之が守っていました。

友之は21歳、辞世を詠む。

「命をも惜しまざりけりあずさ弓 末の世までも名を思う身は」

夫人は17歳

「たのもしや のちの世までも翼をば ならぶる程の契りなりけり」

 


天正六年(1458)、加古川城には多くの播磨の諸将が召集され、秀吉による毛利攻めの軍議が開かれました。

三木城からは別所長治の代理として、別所吉親と三宅治忠が参加、この頃から別所氏は織田氏に叛旗を翻します。

秀吉軍は野口城を落とし、平井山に本陣を構え、つづけて神吉城・志方城・高砂城を落としました。

天正七年(1459)、毛利軍が東の丹生山を越えて、三木城へ兵糧を入れると、秀吉は丹生山砦を焼き打ちし、淡河城を落としました。

そして三木城を囲んだ陣を南を八幡山、西は平田、北は長屋、東は大塚まで進めるのです。 秀吉は大宮八幡社の裏手にある宮の上の要害を乗っ取り、別所友之が守る鷹の尾城へと攻め込みました。

鷹の尾城は、まもなく秀吉軍の手に落ち、残るは三木新城、二の丸そして本丸のみとなるのです。

『参考文献を参照』

 

  
最後の砦
  「最後の砦」

三木市役所の南側の駐車場から見ているよ。

前の道を左に行くと別所長治・照子夫人の首塚がある雲龍寺です。

この高台の林が鷹の尾城、山の向こうに三木城の本丸があるよ。

三木城、その最後の砦だったんだね。
 

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