武山城
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兵庫県たつの市御津町黒崎
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国道250号線(通称:浜国)の網干を越えて御津町の「新舞子口交差点」を南へと曲がり、700mほどで、東の集落へと入ります。
道には「篠井乃水」の案内、南へ入ると播磨十水、その背後には標高68mの山頂に武山城(たけやま)があります。
2005年12月、残すも2日。 ここで見つけたのは十水、500城まであと5城。 はたしてあと9つ、行けるかな。
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篠井乃水から登る、竹の中をすべったりしながら登る。
あと少し、山頂の光が見える、でも残念となる。
道の途中、二つの祀られた石造がある。
実はその方向に行くと山頂、途中には石積みや郭、土塁が沢山あるよ。 |
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元弘元年(1331)、後醍醐天皇の鎌倉幕府の倒幕計画は失敗、隠岐に流されました。
赤松円心の子・則祐が護良親王の令旨を持ち帰ると、円心は苔縄城に一族を集めて挙兵をしました。
その頃、円心の弟・光則(光村)が萩原孫三郎光則と称して南の基山城主となり、光則の子・敦則がここ武山城主となりました。
赤松満祐が足利義教を殺害した「嘉吉の乱」で、萩原氏も城山城に籠り、赤松一族ともに自刃しました。
『参考文献を参照』
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「篠井乃水」
播磨十水の一つです。
萩原氏の後、有田朝則が城主になりました。
円心の子・範資の次男である朝範かな、のち多可郡の野間を本拠とした在田氏のことだね。
播磨十水は置塩城主・赤松義村が定めたらしいよ。 |
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「主郭だよ-播磨十水は」
小野江清水 (姫路市本町)
岡田苔清水 (姫路市飾東町)
篠井清水 (ここ)
花垣清水
小柳清水 (龍野市揖西町清水)
御所清水 (姫路市梅ヶ谷町)
野中清水 (神戸市西区岩岡町)
井ノ口清水 (加古川市上荘町井ノ口)
落ち葉清水、松か井の水 (多可郡加美町奥荒田)
桜井清水 (太子町黒岡)
花垣はどこかな、たまにはこういう終わり方もいいね。 |
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