滝山城、摩耶山城
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兵庫県神戸市中央区城山、灘区摩耶山
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阪神高速3号神戸線、「生田川IC」出てから北へ1kmほどで「新幹線・新神戸駅」に着きます。
新神戸駅の背後には標高316(比高250m)の山頂に、滝山城(たきやま)があります。 そして東へ1km、標高500mの摩耶ケーブル「虹の駅」あたりには摩耶山城(まやさん)があります。
2004年1月、新年最初の城跡探索。 山を切り開き、海を埋め開発が進む神戸、それでも「城跡」だけは静かな夜景を楽しんでいるようです。
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太平記の赤松円心、そして戦国時代の松永久秀。
この神戸を舞台とした物語の一つは、この滝山城にあるのです。 |
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正中元年(1324)の「正中の変」、そして元弘二年(1331)の 「元弘の変」で鎌倉倒幕に失敗した後醍醐天皇は隠岐に流されます。
その間、倒幕勢力の中心は後醍醐天皇の第六皇子・護良親王で、「令旨(りょうじ)」を畿内などに発して北条権力への反乱に決起するよう呼びかけました。
元弘三年(1333)、播磨では赤松円心が上郡町の苔縄城で兵を挙げ、神戸の摩耶山城まで進出し、河内千早城の楠木正成を囲む幕府勢を牽制しながら、幕府六波羅勢との「摩耶合戦」で勝利し、一度は京都七条まで攻め上ったのですが、逆に六波羅勢に撃退され、赤松軍はここ滝山城に籠り再起を図りました。
幕府側は足利尊氏と名越高家を総大将として、畿内の動乱を鎮圧させようとしましたが、名越高家は赤松勢との「久我縄手の合戦」で討死し、一方、足利尊氏は丹波篠村に向って倒幕側に寝返ると、赤松円心・千種忠顕と協力して京都六波羅を攻めました。
六波羅探題南方の北条時益は戦死、北方の北条仲時は近江・蓮華寺で以下432人全員が自害、ここに鎌倉幕府は滅亡するのです。
後醍醐天皇の「建武の新政」がはじまり、論功行賞で赤松円心には播磨守護職が与えられ、滝山城には長子・範資、すぐ西にある多々部城にはその子・光範を置きました。 しかし、新政は武士たちの反発を生み、足利尊氏も鎌倉で征夷大将軍と自称し天皇と対立するのです。
尊氏に加担した赤松円心も播磨守護職を解任され、新田義貞が播磨大介となり、西摂津も楠木正成が領有することなりました。
建武三年(1336)、天皇は北畠顕家と楠木正成に尊氏討伐を命じ、この時、赤松範資と光範は滝山城と多々部城で尊氏に加勢するのですが、尊氏は兵庫から播磨・室津城を経て九州へと落ちていくのです。
同時に、赤松範資らは滝山城を放棄して播磨に退き、白旗城の円心と合流し、新田義貞の播磨・備前への攻撃を防いで、九州から上洛する尊氏を援けるのです。
戦国時代、三好長慶が摂津に進攻した時、西の軍事拠点として家臣・松永久秀に命じ滝山城を修理改築させました。
永禄七年(1564)、長慶が没すると、その後継者をめぐって久秀と三好三人衆(三好長逸、三好政康、石成友通)が争い、久秀が堺で戦っている隙を見て、三好方の安宅氏など淡路十人衆が滝山城を攻めました。
さらに淡路十人衆に加えて、三好方と同盟した播磨の三木城主・別所氏、枝吉城主・明石氏、端谷城主・衣笠氏、福中城主・間嶋氏が攻撃を開始しました。 城兵はこれをよく防いだのですが、水の手を取られてついに松永勢は退城し、その後は三好方の部将・篠原長房が入りました。
永禄十一年(1568)、信長は京都府に入り、細川昭元(晴元の子)や三好長逸の籠る芥川城(大阪府高槻市)を攻め、籠城軍はその夜のうちに城を脱走し、越水城と滝山城を守っていた篠原長房軍も対抗するのは難しいとみて城を放棄し阿波の三好方へと逃れました。
天正元年(1573)、荒木村重が摂津守となって、この地を領有し伊丹有岡城に本城を構え、その支城の花隈城(神戸市中央区)は荒木志摩守、滝山城は旗下の池田泰長に守らせました。
しかし荒木村重が信長に叛き、志摩守は花隈城に、泰長は滝山城に籠城したのですが、有岡城・花隈城が落ちた時に、滝山城も落城したのです。
その後、池田恒興(信輝)が兵庫城を新規築城した際、滝山城の石材が転用されたと伝えられています。
『参考文献を参照』
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「探索コース」
新神戸駅に車を置いて、駅の北側へ行きたいのですが、これが不思議と分からなくて駅前を東へ西へ、何度か駅前の結婚式場のビルに入ってしまうのです。
駅の西側の「神戸夢風船・新神戸ロープウェイ」乗場から登って、やっと登山口にたどり着きました。 一時は「北野異人館」に行きそうだったよ。
よく見たら駅の中央真下に川があって、その横の道から行けるみたい。
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「雌滝」
布引の滝は、那智の滝(和歌山)・華厳の滝(栃木)と並んで三大神滝といわれています。
昔から貴族、歌人が訪れて沢山の歌を謡んでいます。 道沿いに歌碑が並んでいるよ。
この雌滝は19m、しなやかで上品な滝だそうです。 |
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「夫婦滝」
布引の滝には4つの滝があって、下から雌滝、鼓滝、夫婦滝、雄滝です。
ここは二本の滝だから夫婦滝なのかな、細い方が夫だね。 |
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「雄滝」
雄滝は落差43mです。 滝を見下ろす所に御滝茶屋があって「おでん」だったと思うけど、美味しそうな匂いがしたよ。
ここへは車でも来れる道があって、「布引展望公園」からの夜景は最高やろうね。
神戸の夜景、北野町でフランス料理、港神戸めぐり、ポートアイランドの遊園地、どのコースがいいかな。 と考えたのは昔話、今は早く帰って寝たいよね。 |
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「猿のかけ橋」
滝山城へのコースは2つあって、駅裏から直接行くこともできるよ。
そのコースを半分ぐらい登って、また駅裏へ引き返してきたよ。
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滝山城に着きました。
ここは「東曲輪郡」と「西曲輪郡」の間の堀切ですが、今は登山道になっています。
しかし一つ一つの曲輪が広いよ。 |
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30以上の曲輪跡、土塁・石垣・堀切・竪堀・井戸があります。
でも、石垣や井戸はわからなかったよ。
松永久秀は三好長慶を招いて、連歌や能を催していたらしいよ。
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「物見へ」
布引の滝には、ハイキングの人達がいたけど、さすがにここには誰もいないね。
本丸から南東へ延びる物見へ行こうとしたら、何かがいました。 シッポが大きいタヌキです。 あわてて逃げてしまったけど、こちらも急いで走ったよ。 |
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石垣は見つけられなかったけど、石の写真があると、ピリっとしまるよね。 |
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「南の街」
かすかに神戸の街が見えたよ。
神戸は近いから、滝山城はいつでも行けると思っていたけど、いつでも行けないのが「城跡」なんだよね。
もっと写真も載せたいけど、今から「摩耶山城」へ行くからね。 |
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「滝」
布引貯水池の手前だったと思うけど、名前は分からないよ。
貯水池は工事中で水は無かったけど、すごく大きな穴と堰はすごかった。
貯水池を過ぎると「布引ハーブ園」、新幹線の横にあった「ロープウェイ」はここまで乗れるんだよね。 ロープウェイを下から見ているだけで、クラクラするよ。 |
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「六甲全山縦走路」
ここが友達が歩いている道なんだよ。
いくら考えても「須磨浦公園」から「有馬」まで56kmも歩けないよね。ここまで来るだけで足はガクガクだよ。
とにかく右側の縦走路を摩耶山目指して歩きます。 |
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「摩耶山頂」
「天狗道」の岩場の道を一時間ぐらいひたすら歩いて、やっと標高699m摩耶山頂近くに着いたよ。 山を3つぐらい越えたかな、お腹もぺこぺこ、六甲山に来る時はお弁当がいるよ。
日本三大夜景は函館・神戸・長崎で、神戸ではここ「掬星台」らしい。
神戸、大阪、六甲アイランド、ポートアイランド、関西国際空港、大阪湾と暗闇の海に浮かぶ明かり。 今度は夜に来ようかな、でも一人じゃさびしいよね。
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「天狗岩」
摩耶山城に向かって降りようとすると、すぐこの岩があります。
僧が山中に出没する天狗を封じ込めたところだそうです。 また「天狗岩」「天狗道」は、そこで修行する山伏の姿を山麓の農民が天狗と思って名づけたそうです。
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「摩耶山史跡公園」
ここは旧天上寺跡です。
大化二年(646)、孝徳天皇の勅願によって、インド(天竺)の高僧・法道仙人によって開かれたのが天上寺です。
かつてはこの場所にありましたが、昭和51年に全焼したあと山頂に再建されました。 |
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「参道」
唐に留学していた弘法大師が、帰国の際に釈迦の生母の摩耶(マーヤ)婦人像を持ち帰り天上寺に奉りました。
それから、この地を「摩耶」と呼ばれるようになりました。 |
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「天上寺山門」
天上寺は、女人総守護の本山、女人高野、女人の御寺といわれていて、広く女性の信仰を集めています。
インドから贈られた、摩耶夫人菩薩像も見たかったよね。 それには山頂まで戻らなくては。 |
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「摩耶山城跡」
阪神淡路大震災で壊滅的被害を受けた「摩耶ケーブル」も平成13年に再開されました。
ここは中間の「虹の駅」で、下は「ケーブル」、上が「ロープウェイ」です。
ここで標高500mぐらい、何も考えずにここまで一挙に降りてしまいました。 曲輪跡や本丸跡を見るには、少し登ることになるよ。
もう力が出ない、申し訳ない。 |
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「神戸の街」
「摩耶 - マヤ」、不思議な響きがするね。
城跡は見れなかったけど、この風景が見れたから満足だよ。
いつでも来れるじゃなか、お弁当を持ってね。 |
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「新神戸駅へ」
摩耶山城から上野道を降りたら神戸高校の裏手に出ました。 そこから西へ道路を歩き、店で「おにぎり」を2つ買いました。
2004年、最初の探索。 今年も「がんばろう」だよね。 |
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