赤松一族で小野市の金鑵城主(かなつるべ)中村友之の子・牛居之助吉早が構主です。
また赤松円心の子・範資の次男である朝範が在田氏を名乗り、加西市の殿原城主となり、多可郡中町にも但馬の山名氏に備えて段の城を築きました。
天正元年(1573)、足利義昭と織田信長が争った戦いで、中村吉早は多可郡中町の有田伊賀とともに軍功を立てています。
天正六年(1578)、秀吉が三木城主・別所氏を攻めた時、赤松一族とともに牛居之助も三木城に籠もるのですが、城が落ちた際、牛居之助は城を脱出し、多可郡中野間に身を置くのです。
『参考文献を参照』
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