内山城
兵庫県たつの市誉田町内山

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  山陽自動車道「竜野IC」を降りてから東へ走り、国道179号線と交差して林田川沿いの435号線を少し南へ、橋を東へ渡り川沿いを北へ曲がります。

山陽自動車道の「龍野トンネル」の上、標高70mの山が内山城(うちやま)です。

 
  墓地公園になっています。

素直に斜めの道を上がればいいのに、階段を登り横に行っては行き止まり、やっとのおもいで最上段。

でも山に入れないから、斜めに降りて、右の方から入ります。

でも山頂へは柵があって入れないよ、鉄塔がある辺りが中心と思うよ。
 

 


文治年間(1185-90)、関東の御家人である塩津新左衛門義経が頼朝から揖保郡広山荘、大市郷、小宅荘の地頭を任じられ、内山城を築きました。

嘉吉元年(1441)、赤松満祐が起こした「嘉吉の変」の時には、塩津義秀は赤松満祐に属し、明石の和坂に出陣して討死をし、子・義信は赤松氏の滅亡に殉じて仏門に入りました。

延徳年間(1489-92)、その子・義元はこのお城に入り、のち広山の大隈構居に移りました。

『参考文献を参照』

 

  
途中
  「途中」

仏門に入った義信は、諸国を遍歴して再び龍野に帰り、如来寺に入りました。

如来寺は龍野城の近く、三木露風の歌碑と筆塚があるお寺と思う。

忠臣蔵の義士、岡嶋八十右衛門常樹の女「園」の墓所もあるお寺と思う。

実際に見ないと、思うだけになってしまう、見ないとね。
 

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