柳澤城
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兵庫県淡路市柳沢
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「神戸淡路鳴門自動車道」で明石大橋を渡って淡路島に入ります。 そのまま自動車路を南へ、「津名一宮IC」から88号線を西へ走ります。 「伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)」を過ぎて、県道465号線を南へ曲がり、「柳沢小学校」手前で川の東側沿いの道へと入ります。
目指すは「柳沢東安心コミュニティープラザ・東公会堂」、そこからは歩いて柳澤城(やなぎさわ)へ入っていきます。
「城跡探索」の199城目、また来たよ「国生み神話」の国へ。 大空から見たくなる城跡は、また一つ淡路の話を教えてくれました。
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99城目は淡路島の洲本城だった。 そして199城目も淡路の国だよ。
いつも重要な最後を飾ってくれる、でも淡路が最初に生まれた島だったらしいよ。 |
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天文初年、柳澤隼人佐直孝(京都・柳原公家末裔)が、この地に居城し、その子第二代柳澤修理浦直勝及び孫・第三代柳澤越前守直盛の三代にわたってここに君臨します。
ただし天正九年秋、羽柴筑前守秀吉の淡州攻防戦のため、逆に落城し統治の城主・柳澤越前守直盛・甥の五兵衛直忠及び家臣共々、阿州木津城に退く、また城主の弟・柳澤新九郎直澄は江戸に落行きました。
その後、木津城も落城し、二年間高松城に在りしか、柳澤五兵衛直忠再び帰郷し下屋敷に蟄居ています。
ここ八王寺森は、柳澤城郭内にあって、その守護神を安置するところなり、あわせて代々の城主一族を祀りし場所とも伝えられています。
『現地案内を参照』
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「登城口」
八王子大権現の説明がある公会堂の横です。
「伊弉諾神宮」の南側にある大きな駐車場には「旧柳澤城見張り台」という案内があり、随分と走ってたどり着いた場所、でも見張り台は違う場所だったのかな。 |
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「段々畑」
とにかく目指すはどこだろうか、あぜ道を向こうへ行ったり来たり。
行き止まりで降りてはやり直し、段々畑を登るのは、こけそうになるし意外と難しいよ。 |
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「あの場所かな」
どうやら目指すのは、あの場所みたいだね。
こんなに削平地が沢山あると、どこが曲輪か分からないよ、空の上から見たらどんな形か分かりそうだよね。 |
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「堀」
ここに堀があるのには、びっくりしたよ、水もいっぱいあるし。
この辺りでは、こけないようにね。 |
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「八王子大権現」
城跡の碑があるところです。
この右側の社は京都の柳原公家の子孫・廣田氏、つまり柳澤直孝(初代)が築城した時に、城内の守護神として祀られていたそうです。
右側から段々畑っを登ってきたけど、曲輪跡は左側だったのかな。 見張り台はどこかな、不思議なくらい難しいよ。 |
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「古事記」と「日本書紀」の話
伊邪那岐(いざなぎ)と伊邪那美(いざなみ)が天沼矛(あめのぬぼこ)を海の上につきさして、ぐるぐるとかき混ぜました。
矛を引き上げると矛先から潮の滴が落ち、しだいに積もり固まってついに於能碁呂島(おのころしま)ができたのです。
そして於能碁呂島に降りて、四国・隠岐・九州・壱岐・対馬・佐渡・本州と大八島の国を生みました。
この於能碁呂島が淡路島なのです。 |
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「伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)」
神宮の前にある店、ジュースを買いながら裏戸の隙間から見えた橋だよ。
伊邪那岐は神としての仕事も終り、幽宮(かくりのみや)で永久に隠れました。 その地が一宮町の伊弉諾神宮だそうです。
神話のスケールはすごいよね、「おのころアイランド」で観覧車に乗って大空から神話の国を見たいけど、それも難しい話やね。
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