八百里城
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兵庫県篠山市福住
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国道372号線を篠山市内より更に東へ走ります。 八上城がある所で北側の篠山川に架かる「八幡橋」を渡り、500mほど西の「和田」から北側へ、佐佐婆神社を越えて瀬利バス停から西に入ります。
ここから北西には標高442m(比高220m)、美しき山頂に八百里城(やおり)があります。
2005年3月、「丹波篠山五十三次」はいくつ残したかな。 丹波の山は美しい、また来る気持ちを残したんだよ。
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細工所城、籾井城、仁木城と来れば、次は八百里城だね。
ここも五十三次の石碑、波多野氏の八上城の枝城だよ。
車を遠くに置いてきたから、左の道をぜいぜい歩きます。 |
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八百里山は、古代は神が鎮座する山、神奈備として、崇敬されていたと考えられます。
室町初期には、丹波守護細川満元の弟・満国、持春の父子が畑荘を領し、この山城を拠点に地域の発展に努めました。
波多野氏が丹波守護代になった頃の城主は、畑宗右衛門忠綱でした。 天正七年(1579)五月、明智勢の猛攻により落城します。
ときの城主は、畑牛之丞守能で、長男守国、次男能国は討死し、守能は永沢寺に落ちのび、後に高野山で余生を送ったと云われています。
『現地案内を参照』
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「佐佐婆神社」
神奈備(かんなび)とされる八百里山の麓にありました。
延宝元年(1239)、後鳥羽上皇のご分霊を隠岐から迎えて合祀したと云われています。
境内に後鳥羽院の宝塔と細川満国の百度石がある。
でも何回も車から降りて見ても、どこか分からなかったです。
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「八百里山」
佐佐婆神社から少し西北、きれいな山が見えます。
古代は人里近くて、姿が優美、そして神が鎮座する山のことを「神奈備」として崇敬されました。
神奈備、(かんなび)と読みます、とささやいてくれる、やさしそうな形の山だよ。 |
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「登山口」
麓の神社、ここから登るんだ。
最初の竹林の中には平な場所がある、居館かな。
地元の方に「石垣しかないよ」と嬉しい言葉、10分ぐらいかな、一直線で尾根まで登るよ。 |
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「石積み」
尾根の南は櫓台、北側へ歩くと石積みがあった。
ここだったんだね、とにかく見れて嬉しい。
尾根の道には大きな石が重なっている、古墳の石室らしい。
そして小さな祠があるよ。
まだ奥にも行けそう、でも石積みも見れたし満足。
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「祠」
山麓の神社に降りてきた、また地元の方に会ったよ。
「祠からずーと奥の山頂に石垣があって、小さい頃、よく遊んでいたよ」と。
「丹波五十三次」はあと40ぐらい残してる、また来ればいいんだ。
美くしすぎる山、もう一度会いたい気持ちも残してきたからね。
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