構主は魚住左近大夫とありますが、魚住氏は明石の魚住城を本拠としていました。 この左近大夫吉長は、御着城主・小寺政隆の女婿で、永禄八年(1565)には弟・治吉とともに武功をたてて、小寺則職から感状が与えられています。 天正の頃には、三木城主・別所氏に従属していました。 『参考文献を参照』