永享二年(1430)、山名四天王の一人、楽々前城主・垣屋隆国が築き、二男・国重を城主とします。 天正三年(1575)、山名氏家臣の中で鶴城主・田結庄氏が織田信長に味方するようになり、垣屋氏と争いました。 天正八年(1580)、羽柴秀長の但馬攻めで落城するのです 『参考文献を参照』