龍野市の国道29号線「追分交差点」から724号線へ、1.5kmほどの「上構内交差点」を南に曲がります。 435号線を少し走ると、西側100mぐらいのあたりには横内構居(よこのうち)が見えます。
嘉吉元年(1441)の「嘉吉の乱」後、赤松満祐の軍師であった喜多野義綱の子・能綱は、政則を援けて赤松氏の再興に協力しました。 その後、能綱は龍野城主の赤松氏に仕え、この構居には龍野の赤松家臣・横野主水が入りました。 横野氏は置塩城主・赤松氏の配下でもあり、林田の窪山城主・横野権太夫政信、助右衛門政祐と同族と云われています。 林田藩陣屋のある聖岡が、窪山城跡だったのですね、ここで初めて知りました。 『参考文献を参照』
南北36m、東西35mで高さ2mの台地になっています。 今では道から一見にして分かるよ、でも不思議だよね。 たまに通っていた道だったよ。 通り過ぎた時間には、はかりしれない大切なことがあったんだ、知らない間に過ぎてしまっているんだよね。