田鶴浜館
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石川県七尾市田鶴浜町
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能登有料道路を北へ走り、田鶴浜ICから北へ、田鶴浜小学校を過ぎて郵便局手前を西へと入ります。
間もなく南に曲がればお寺、ここには田鶴浜館(たづるはま)があったんだね。
2009年10月、初めての石川県。 能登、ここも戦国の跡なんだ。
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細い道をクネクネ、集落の中ほどにある得源寺。
ここは能登守護畠山氏の守護代・長氏の館と云われているよ。
車で来ようとして、あきらめ南の公民館に止めた。
来れたみたいだね。 |
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天正五年(1577)、七尾城は遊佐氏と温井氏らの逆心により、畠山氏の没落を迎えました。
父と兄(長続連・綱連)を失った長連龍は、信長に援軍を請うため安土に滞在していました。
主家・畠山家と父・兄の仇を報いることを信長に要請し、能登へ帰り各地で遊佐氏・温井氏の軍と戦うのです。
天正八年(1580)、金丸菱脇の戦いで温井氏・三宅軍を大破し、信長から鹿島半郡が与えられました。
慶長十一年(1606)、長連龍は、本拠地を田鶴浜の南、新宮口高田保に移します。
この地は、かつて七尾畠山氏の家臣・天野加賀守が居住した所です。
慶長十九年(1614)、長連龍は大坂冬の陣の時、加賀三代藩主・前田利常と共に出陣、元和元年(1615)の大坂夏の陣にも出陣し、七十四歳でこの館で世を去ったのです。
『参考文献を参照』
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寛文十一年(1671)、尚連まで、ここは長氏の居館になっていた。
お寺には土塁の一部が残るというよ。
長氏、遊佐氏、温井氏、三宅氏と沢山氏族の登場です。
なかなか覚えられないけど、能登の地も戦いの跡が残っているんだよね。 |
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