高松自動車道「高松西IC」から北の33号線を北へ走ります。 JR予讃線を越え177号線へ進むと香西小学校、その北側には、藤尾城(ふじお)がありました。 2009年5月、緑きれいな季節は讃岐。 街中の道がクネクネだよ、どこから上がるのかな。
北の本津城から近く、香西資村が勧請した宇佐八幡宮だよ。 お城は藤尾山だけでなく、周囲の城下町をも取り込んだ防御施設らしい。 今でも「香西の町はむきむき」と呼ばれる、道が迷路で袋小路、折れ曲がるように出来ているからね。 でも「むきむき」は少し違うような気もするな。
天正三年(1575)、十八代・香西佳清は、香西氏の居城である佐料城が平地であり、防衛に不利なことから藤尾山に築城の計画を立てました。 天正十年(1582)、長宗我部元親の藤尾城攻めが行われ、落城寸前で香川信景の勧めにより和議が成立、香西氏は元親の配下になるのです。 のち長宗我部軍の援助により、藤尾城は完成、しかし秀吉の四国征伐により廃城になるのです。 『参考文献を参照』