摂津守頼光の十代後、土岐隠岐守光貞の男子で、隠岐孫三郎と称した舟木頼重の居城でした。
建武二年(1335)、舟木頼重は讃岐守となり、高松に居を移してからは、高松頼重と名のります。
この年、足利尊氏が旗を揚げ、讃岐で尊氏の知らせを受けた細川定禅(ほそかわ じょうぜん)が挙兵しています。
喜岡城の頼重は、これを迎え討つために屋島に布陣するのですが、定禅は先手をとって頼重の陣に夜襲を掛けました。
頼重は屋島から船で逃れ、喜岡城は定禅の手に落ちたのですが、再び香西氏に属した高松頼巴により改修されるのです。
『参考文献を参照』
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