元亀三年(1572)、雨滝城主・安富盛定が虎丸城へ移ったのち、安富氏の家臣である六車宗湛が雨滝城主となりました。
天正十一年(1583)、長宗我部元親が讃岐に侵攻し、引田城を陥しいれると雨滝城攻略を始めます。
安富盛定は秀吉に子供を人質として臣従を誓っていたため、元親に降りることができず、仙石秀久をたよって小豆島へ走ります。
そのため六車宗湛は元親に降ると、元親はそのまま宗湛に雨滝城を守らせたのですが、秀吉の讃岐征服で仙石氏が讃岐支配をすると、雨滝城と共にここ六車城も廃城となるのです。
『参考文献を参照』
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