高松自動車道「志度IC」から141号線を南へ走ります。 県道37号線の交差点北側の山には、乙井城(おつい)がありました。 2009年5月、緑きれいな季節は四国。 山頂の神社は静かだよ。
永正年間(1504-21)、信濃から四宮右近が讃岐に移り、引田城を修築して昼寝城主・寒川氏の家臣として仕えています。 四宮光武の時、阿波の三好長治による東讃岐攻めのため引田城は落城しました。 光武の弟・光利は、秀吉の家臣・高松城主である仙石秀久に従って武功をたて、天正年間には乙井城を居城したと云われています。 『参考文献を参照』