江戸時代の初めは山崎氏が領有、明暦四年(1658)には播磨の京極高和が封じられました。
高和の後、高豊・高或(たかもち)・高矩と続きます。
元禄七年(1694)、高豊は庶子・高通に多度津と三野郡を分封し、ここに多度津藩が成立しています。
しかし高通から四代高賢まで、多度津藩主は丸亀城内に住み、多度津には別館を置いて家臣を居住させるのみでした。
文政十年(1828)、ようやく丸亀城の内住から多度津に居館・陣屋を設けることができ、以降高琢・高典までの版籍奉還に至るまで政庁が行われていたのです。
『参考文献を参照』
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