作山城
香川県高松市香西南町

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高松自動車道「高松西IC」から北の33号線を北へ、JR予讃線を越え177号線へと進みます。

東には勝賀中学校、その辺りの道の西には、作山城(つくりやま)がありました。

2009年5月、緑きれいな季節は讃岐。 道沿いのお城、香西氏の内紛が起こったんだ。

 
 

北の藤尾城、300mぐらい南だよ。

城主は香西清長・清正父子。

道沿いの荒神社、香西氏の内紛があったんだ。

 

 


この堂には、大内義興を祭っており、香西氏が周防山口県の大名・大内氏と交わり、瀬戸内海の警備と朝鮮や明国との交易によって、大いに勢力をふるった時代を物語るものです。

香西氏は、細川政元が亡くなった後、大内義興と手を結んで大いに勢力を伸ばしました。

永正17年(1520)秋、大内義興が上洛の途中に堺で暗殺されたので、ありし日の大内義興の恩義に報いるために霊像を作り、藤尾八幡宮の向かい山に堂を造って安置します。

このお堂が大内堂で、戦国の世の美しい話であるとともに歴史を語る史跡であります。

『現地案内を参照』

 

  
 

小山の山頂には、18m四方の削平地、烽火場があったという。

ここから南にある香西氏の本拠・佐料城へ、瀬戸からの情報を伝えたお城だったとも云われているよ。

香西清長・清正父子は備中の中島へ追放される、中島は少し前にいったよね、後で知るのも感動。

佐料城、迷わずに行けるかな。

 

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