綾部陣屋
京都府綾部市本宮町

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舞鶴自動車道、「綾部IC」から77号線を南へ向かい、由良川を渡って綾部の街に入ると、綾部陣屋(あやべ)があります。

2005年5月の終わり、季節は梅雨と変わります。 戦国時代、信長の水軍として活躍した九鬼嘉隆、ここは九鬼氏が築いた陣屋なんだよ。

 
  綾部小学校の北西の坂道、「綾部城 大手門跡」とあります。

南へ行けば農業試験場、その辺りが江田氏の綾部城だったのかな。

のち九鬼氏は三田陣屋と綾部陣屋の藩主として明治まで続いているのです。
 

 


永禄八年(1565)、丹波を支配していた八上城主・波多野秀治の重臣である江田行範が、上野台地の東端の本宮に城を築いたのが始まりです。

天正七年(1579)、信長の丹波攻めで、波多野氏が滅ぶと同時に江田氏も滅亡、この地は明智光秀の支配下となりました。

本能寺の変後、光秀が倒れてからは秀吉が治め、寛永十年(1632)には九鬼氏が綾部陣屋を開くのです。

九鬼氏は志摩鳥羽(三重県)の水軍で、嘉隆の時に信長に味方して勢力を誇っていました。 しかし遺領相続の争いが原因で、幕府は嘉隆の孫・久隆を三田へ、隆季(たかすえ)を綾部へと移すのです。

隆季が最初の藩邸を置いたのは由良川近くの綾部高校東校舎辺りと云われていましたが、慶安三年(1650)の出火により藩邸が全焼しました。

翌年、徳川幕府の許可を得て、江田氏居館のあった本宮の上野台地に移城したので、上野城とも呼ばれています。

そして十代・九鬼隆備(たかとも)の時、綾部陣屋も明治を迎えるのです。

『参考文献を参照』

 

  
  「大手門跡あたり」

本宮山西麓に東西80m、南北130mの藩邸があり、堀を隔てて武家屋敷がありました。

綾部陣屋の城門は、旧綾部小学校の校門として使用されていたのですが、昭和三十八年に倒壊しています。

今でも上野台地の東端、江田氏時代の綾部城の井戸や土塁があるらしいよ、もう一度坂道歩いて来てみたいよね。
 

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