永禄八年(1565)、丹波を支配していた八上城主・波多野秀治の重臣である江田行範が、上野台地の東端の本宮に城を築いたのが始まりです。
天正七年(1579)、信長の丹波攻めで、波多野氏が滅ぶと同時に江田氏も滅亡、この地は明智光秀の支配下となりました。
本能寺の変後、光秀が倒れてからは秀吉が治め、寛永十年(1632)には九鬼氏が綾部陣屋を開くのです。
九鬼氏は志摩鳥羽(三重県)の水軍で、嘉隆の時に信長に味方して勢力を誇っていました。 しかし遺領相続の争いが原因で、幕府は嘉隆の孫・久隆を三田へ、隆季(たかすえ)を綾部へと移すのです。
隆季が最初の藩邸を置いたのは由良川近くの綾部高校東校舎辺りと云われていましたが、慶安三年(1650)の出火により藩邸が全焼しました。
翌年、徳川幕府の許可を得て、江田氏居館のあった本宮の上野台地に移城したので、上野城とも呼ばれています。
そして十代・九鬼隆備(たかとも)の時、綾部陣屋も明治を迎えるのです。
『参考文献を参照』
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