浜村城
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京都府舞鶴市北吸
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舞鶴自動車道、「舞鶴東IC」から28号線、そして国道27号線を西へ走り東舞鶴の街へと入ります。
舞鶴市役所の東には「夕潮台公園」、その公園が浜村城(はまむら)です。
2005年5月、日本海探索の一場面。 赤いレンガと城跡の風景、そろそろ青い海も見たくなってきたよね。
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公園の北側にはお城の碑、ここから登るよ。
木々の隙間から舞鶴港に浮かぶ船が見える、西舞鶴は城下町、ここ東舞鶴は海軍の街だったんだね。 |
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天正の頃には桜井氏が浜村城主でした。
天正三年(1575)、織田信長の越前攻めの時、桜井氏は一色義道と共に参戦しています。
一色氏は、足利尊氏の五代前・足利秦氏の五男である一色公深から始まり、範氏・範光・詮範と続いています。
明徳二年(1391)、山名氏清・満幸が三代将軍足利義満に対抗した「明徳の乱」の時、幕府方の一色詮範が鎮圧、その功績により丹後守護となり、詮範から五代後には義道の名があります。
天正九年(1581)、信長方である田辺城主・細川藤孝(幽斎)は、一色氏を攻める為、まず桜井氏に和平交渉を提案、のち丹後の一色氏を滅ぼしました。
その後、桜井氏は秀吉に付き、賎ヶ岳で柴田勝家との合戦での「七本槍」で名を馳せたと云われています。
「七本槍」は、福島正則、加藤清正、脇坂安治、加藤嘉明、片桐且元、平野長泰、石川一光、糟屋武則、桜井左吉(家一)で9人。 でも「七本槍」の一人と云われています。
『参考文献を参照』
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「赤れんが博物館」
5 ここは博物館、東の小山が浜村城だよ。
明治36年(1903)、海軍の魚雷庫として建てられました。
日本最古の鉄骨レンガ造り、今では四大文明や万里の長城のレンガも展示されてるよ。 |
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「郭」
本丸から2段下の郭、探索始まって以来、大きなナスビも発見。
誰もいないけど遊ばない、パンダと一緒に横たわる姿が頭をよぎる。 |
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「本丸」
すぐに山頂だよ、本丸は30mぐらいの広さ。
でも公園、昔の広さは分からないよ。
10年ぐらい前、仕事で舞鶴に通ってた、週1回ぐらいかな。
一品の魚料理、街の中にある小さな店、食べたくて来てたよ。 |
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第二次世界大戦後、海外にいた日本人600万人の「引き揚げ」の港だった舞鶴。
昭和20年から続いた「引き揚げ」、その最終船は昭和33年の9月、なんと13年も続いていたんだ。
今でも赤レンガの倉庫が40棟、夜にはライトアップもされている。
10年前、一人で歩いてた舞鶴港。 街路灯に映る真昼の風景、海の場面で影を映したいよね。 |
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これは・・・
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