久美浜陣屋
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京都府京丹後市久美浜町
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播但自動車道で和田山へ、国道9線・312号線を通って豊岡市、178号線を北東に走ると、京都は久美浜の街へと入ります。 街の西、小学校の前には久美浜陣屋(くみはま)の案内があります。
2005年6月、日本海探索はもう終わり。 小雨つづいた旅の最後、久美浜は小さな傘が似合うよね。
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久美浜小学校の門の所。
明治までは代官所、のち久美浜県の県庁だったんだ。
県庁は松倉山を整地、当時の建物の正面玄関棟は神谷神社に、正門は豊岡県と合併した際に豊岡市図書館の門に移築されてるよ。 |
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この地は元亀・天正の頃、足利氏が滅亡するや細川氏が丹後に入り、郡内の諸将も一色氏と運命を共にしましたが、町内各所の城砦は当時の歴史を物語るものでした。
天正年、細川の臣・松井佐渡守康之美浜の松倉城を根拠として、勇名をとどろかしました。(現八代市住) 元禄10年、代官の設置、当時陣屋は大津・京都にあって丹後代官を兼ねていました。
享保年間湊宮船見番所を陣屋と改め、享保20年海上弥兵衛の時、陣屋をこの地に移し、以来、明治維新までこの地を代官所として権威をほこりました、
その所管は、丹後、但馬石高7万石、明治元年置県の制が設けられて久美浜県となり、県庁の所在地として大いに繁栄しました。
代官の頃は、その坪数1600坪、陣屋川、陣屋清水、陣屋橋、殿町と当時の名残りをのこしています。
久美浜県は、この地に松倉山をくずし、整地し構内、実に7000坪石高も丹後、但馬、丹波、播磨、美作の五ケ国23万石以上となり、明治4年まで大いに発展しました。
建築も宏壮で当時の正面玄関棟は、現在神谷神社境内に現存し、正門は豊岡市本町に現存しありし日の面目を今にしています。
『現地案内を参照』
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「久美浜商店街」
小学校から離れていく、裏山が松倉城(久美浜城)だよ。
松倉氏のお城、でも信長の命令で細川氏が打ち落としたお城だね。
ここでバスガイドさんに道を尋ねられた、久しぶりにあがってしまったよ。 |
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「長明寺」
久美浜県小学校の石碑がある。
元禄十年(1697)、丹後に代官が設置された、でも当時の陣屋は大津・京都にあって、そこが丹後の代官を兼ねていました。
享保年間(1716-35)、湊宮船見番所を陣屋と改め、時の代官・海上弥兵衛が陣屋を久美浜に移しました。 |
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小雨の浜で一人。
左が小学校で陣屋跡、その向こうが松倉城だよ。
夏になると海水浴、沢山の人がやってくるね。
日本海の旅は久美浜で終わり、はやく播磨に帰ろうかな。
傘もいらない小雨の久美浜、向こうで赤い傘を回してるよ。
やっぱりゆっくり帰ろうかな、CD聞きながら。
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