松倉城
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京都府京丹後市久美浜町
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播但自動車道で和田山へ、国道9線・312号線を通って豊岡市、178号線を北東に走ると、京都は久美浜の街へと入ります。 久美浜湾の近く、古城山には松倉城(まつくら)があります。
2005年6月、日本海探索はまだ続く。 小雨つづく丹後の旅、いつかはラジカセ持って行きたいね。
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久美浜の街の西には久美浜小学校、そこは久美浜陣屋だよ。
学校のすぐ西の山が松倉城、久美浜城とも呼ばれる山頂からの風景はきれいだよ。 |
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初めは松倉周防守が城主でした。
天正十年(1582)、信長の命により細川藤孝(幽斎)は丹後に攻め入ると、藤孝の部将・松井康之と戦った松倉周防守は討死するのです。
藤孝は丹後を平定した後、松井氏を松倉城に入れました。
慶長五年(1600)、関ケ原の合戦の時、細川藤孝の子・忠興が東軍の家康に付くと、松倉城は西軍・石田三成の軍勢により焼かれてしまうのです。
『参考文献を参照』
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登る道は二箇所、小学校のグランドの北側からと山の南側の急な石段かな。
山頂は城山公園、城山稲荷があるよ。 主郭の南側には大きな堀切、歩く道になっていたのかな。 |
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山頂は20mぐらいの広さ、所々に石もある。
細川忠興が九州の小倉城主になると、松井康之もこれに従って大分県の杵築の領地を任せられています。
細川氏が小倉城から熊本城に移った時も、松井氏は熊本県の八代城へ移っています。 |
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「久美浜湾」
小雨の一日、音楽と一緒。
車のCDは一曲に10回ぐらい音が飛ぶ、はずかしいから一人の時しか聴かないよ。
「夢を乗せて・・車道、明日への・・、遠く遠く・・」
今度はラジカセ積んで来ようかな、ほんと、きれいな風景だよ。 |
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