文禄三年(1594)、秀吉が伏見城築城に伴い、宇治川の流路を変更して、城下に物資を送りやすくするために築いた堤と云われています。 『参考文献を参照』
土手から見えてたのは、応神天皇の子で仁徳天皇の弟・菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)皇子の御墓だよ。 京阪電車の東側から回ると石碑が建つ、少し歩けば歴史の跡がいっぱい。 京阪宇治駅から黄檗へ、おうばくと読むんだ。 暑かったけど帰るのおしい、青春18キップ、各停電車でゆっくりかな。