五箇篠山城は、朝柄地区と古江地区との境界にある標高140m、比高差にして約70mの完全な独立丘陵上にあり、周囲の自然地形を巧みに利用して築かれています。
五箇篠山城の縄張の中心は、山上の尾根を東西に深い堀切で分断して築かれた台状の連郭群と、その周囲に配した帯郭からできています。
郭は基本的には土塁はないが、西端の郭のみ「コ」字に取りまく低い土塁があります。 虎口もこの郭に設けられており、恐らくここが主郭「本丸」であったと考えられます。
南に斜面の東に人為的に掘られた円形の深い窪みがあり、これは井戸または雨水を貯めたものと思われます。
防備設備の遺構分布は、丘陵の北斜面は比較的少なく、南斜面は特に高所に偏って集中しています。 「これは北斜面は地形が単純で急峻なため、また南斜面は谷が多く独立した尾根を造っていて、自然の地形をうまく利用しています。」
鎌倉時代中頃、野呂氏隆が現在の群馬県にあたる上野国から伊勢に来て、ここに城を築いて以来、野呂氏代々の居城であったと云われています。
『現地案内を参照』
|