南北朝時代、当地の土豪・愛州氏が築いたと云われています。 宝徳年間(1449-52)、愛州氏は本拠を五ケ所城へ移しています。 天正三年(1575)、北畠具教の養子になった織田信雄は大河内城から田丸城へ移る時、田丸中務少輔は岩出城に移され、その父・田丸家が一之瀬城に移されてくる時には廃城となっていたのです。 『参考文献を参照』