松阪城
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三重県松阪市殿町
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松阪市の真ん中には、松阪城(まつざか)があります。
2008年12月、暖かい伊勢の国。 銀杏の葉、今年の季節は冬待つだけ景色かな。
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蒲生氏郷、良く聞く名前、でも城跡探索では初めてかな。
近江蒲生郡日野の生まれ、蒲生郡と聞くと安土城、でも地図で見ると甲賀の北だね。
松ケ島の「松」と大坂城の「坂」をもらって松坂にしたのかな。 |
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天正三年(1575)、北畠家を継いだ信長の次男・信雄は大河内城から田丸城へ移りました。
しかし田丸城が焼失、のち松ケ島城を築いて入ります。
天正十年(1582)、本能寺で信長が討たれると、信雄は清洲城へ移り、松ケ島城には家臣・津川玄蕃允を城主としました。
天正十二年の小牧・長久手の戦いで、津川玄蕃允は秀吉に通じたとして殺害、代わって滝川雄利を城主にしました。
雄利は秀吉と戦うのですが、ついに城を開くと秀吉方の岡本宗憲が預かり、のち近江国日野城主・蒲生氏郷が松ケ島城に入ります。
氏郷は、松ケ島城が交通に不便なため、新しく四五百森の丘に築いたのが松阪城です。
『参考文献を参照』
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信長は氏郷に娘・冬姫を嫁がせた。
信長が上洛したのが永禄十一年(1568)、その年に氏郷は北畠具教・具房と戦っているんだね。
具教は八代、具房は九代だよ、まだ四代から出てこないね。
ここは本居宣長の家、誰が拾ったのかな、落ち葉は乱れてる。 |
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天守閣に上る、街並みの風景、素晴らしいお城。
今年は伊勢で終わりかな、何歳から探索始めたのかな。
いろんなお城に行った、草木掻き分け、太陽に汗を拭いた。
秋の終わりはいい季節、去年までの言葉。
冬待つだけの季節、今年の言葉だね。 |
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