ここは伊勢国司八代・北畠具教の隠棲(いんせい)の地です。
永禄十二年(1569)、具教は大河内城において、北畠氏の総力を挙げて信長の大軍を迎え撃つのですが、やがて信長の三男・信雄を養子にする条件で和議を結びました。
その後、具教は、宮川筋において最も要衝であるここ三瀬の地に館を築いて隠居、勢威の回復を図るのですが、天正四年(1576)、信長の指令により、信雄がさしむけた刺客(藤方氏・長野佐京進・滝川三郎兵衛尉)により謀殺されるのです。
館跡は鎌止山の麓斜面を改修してほぼ三段にしつらえていますが、そのどこに居住されていたかは、明らかではありません。
『現地案内を参照』
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