宮山城
三重県 津市戸木町

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  伊勢自動車道「久居IC」から国道165号線を西へ900m、戸木神社前の信号まで来ます。

道の北側には敏太神社、背後の山には宮山城(みややま)がありました。

2008年12月、暖かい伊勢の国、もっと勉強をしなくてはいけないね。

 
  戸木神社前の信号を北へ入ると住宅街、手前左手の細い道から神社へ行けるよ。

話に出てくる戸木城、後で地図をみる、国道のすぐ南にあったんだ。

神社の裏手、赤い鳥居をくぐり上るよ。
 

 


戦国の世に木造具政が敏太神社の裏山に築いた砦です。 木造具政は伊勢の国司八代北畠具教の弟で、養子として木造家に入り、のち戸木に隠居をしたので、戸木御所と呼ばれていました。

天正12年(1584)、織田上総介清生を敵にまわして、木戸城で籠城するのですが、宮山城は戸木城の北を守る要害の位置にあり、敵の動勢を見渡す上からも必要な城でした。

そのため織田勢は風早池の西に陣をしき、この城を攻めました。 木造方の柘植彦次郎、田中道京海津河原田の諸氏は、よく防ぎ戦い西の谷間は激戦となりました。

しかし、織田勢の家所常刀に押され、遂に同年5月、木造方は城を捨てて戸木城に引き上げました。 その後、この城は織田勢の本陣となり、同年秋停戦とともに、廃止されました。

現在、城跡は稲荷神社がまつられていますが、その周囲に土塁や空濠が残り当時の面影を今に伝えています。

『現地案内を参照』

 

  
  山頂には稲荷神社、右に、左に大きな土塁、周囲は堀、感動するよ。

木造具政は、信長方に味方した人物だよね。

確か信長の次男・信雄が北畠氏の養子になった時に信雄の家老になるんだよ。

北畠氏や伊勢のこと、もっと知りたいよ、南へ行けばいいのかな。
 

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