田丸城は、延元元年(1336)、後醍醐天皇が吉野還幸のとき、北畠親房がこれに呼応挙兵するため、南勢の拠点として築いたものです。
神領を領有するため、南北両朝はしばしば、この城を中心に紛奪戦をくりかえしたが、合一の後は北畠氏一族がここに居城、玉丸御所となりました。
室町末期、信長が伊勢攻略の時、次男・信雄を伊勢国司北畠氏の養子嗣として和睦、南勢五郡を制し、天正3年(1575)冬、信雄は大河内城から田丸城に移りました。
この時、田丸城を大修築し、三層天守閣を築き、現在の規模を整えましたが、火災により天守を焼失、信雄は松ケ島城に移りました。
以後、稲葉氏、藤堂氏、久野氏がこれを領しましたが、明治維新、廃城により御料林(国有地)に編入されました。
『現地案内を参照』
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