天文十年(1541)、信長の水軍大将として勇名を覇せた九鬼嘉隆の祖父・泰隆がこの城に拠り、伊勢国司・北畠氏のために尽くし、二見七郷を与えられました。 それ以前、田城左馬之助が築いたとも云われています。 天正十年(1582)、九鬼嘉隆が兄・浄隆の子澄隆を暗殺し、のち廃城になるのです。 『参考文献を参照』