大乗院方の衆徒である番条氏のお城です。 応仁の乱以前は、越智氏に属し、長禄三年(1459)には筒井方に攻められ、番条長懐父子は自害、共に籠城していた鞆田室重慶は八幡堀に落ちて討死、番条郷の民衆男女多数が堀に落ちて命を落としています。 その後、番条氏は筒井氏に属し、松永久秀の頃には、筒井城と共に松永氏の手に落ち、元亀二年(1571)には復帰しています。 『参考文献を参照』
「熊野神社」 神社が北の端、南に歩くと昔の街並みが楽しめるよ。 何のお店だったのかな、酒屋さんかな。 大きな店があった、途中から西へ曲がって佐保川を渡る、筒井城へ行くよ。 曲がったとこは、まだ半分くらいのとこ、すごく広かったんだ。