近鉄田原本線「箸尾駅」から南へすぐ、集落の中には箸尾城(はしお)の碑がありました。 2009年4月、春。 奈良を歩く、今日はどこまで歩けるかな。
JR王子から近鉄電車、箸尾駅を出る、観光地案内にある、「はしお元気村」へと歩く。 南へ歩き過ぎた、東へ曲がり北へ戻ると天理教箸尾分教会、その北側に碑があるよ。
箸尾城は、萱野、弁財天、的場にわたる、ほぼ二町(220m)四方の環濠集落の平城であったといわれています。 城主の箸尾氏は、室町時代の大和国土豪で、興福寺一乗院方に属し、筒井氏・越智氏・十市氏と共に大和四家の一つと言われています。 古くから大和国広瀬長川庄の庄官として、また奈良春日若宮の秋の祭礼「おん祭り」の時、流鏑馬(やぶさめ)を奉納する六党のうちの長川党の盟主として、室町時代(1417)頃から隆盛をきわめています。 『現地案内を参照』
「大福寺」 駅から先に大福寺、聖徳太子の建立と云われ、中世には箸尾氏の帰依により鎌倉・室町・戦国時代には隆盛を誇りました。 この西南あたりが環濠地帯かな、教行寺の東辺りかな。 街中の道を歩く、古い街道の雰囲気がいい。 南へ歩いて古寺環濠かな、今日も元気だよ。