稗田環濠は全国的にも有名な環濠の一つです。 稗田の集落と環濠がいつごろ造られたのかははっきりしていません。
稗田集落の存在を示す最も古い資料は、「経覚私要妙」の文安元年(1444)の記事で、古胤仙が稗田の陣を敷いたという記事です。
この後、「大乗院雑事記」の文明11年(1479)、文明14年の記事には稗田が筒井氏の攻撃によって焼かれたことがでています。
戦国時代には、城砦的な役割をはたしていたと考えられます。 その後、現在にいたるまで環濠や集落内の道や敷地割りが残されてきました。
集落内には、稗田阿礼を祭る式内社である売太神社があります。
『現地案内を参照』
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