保津環濠
奈良県田原本町保津

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近鉄田原本線「西田原本駅」から北西、14号線「保津交差点」から北へ歩いて300m、その集落には保津環濠(ほつ)がありました。

2008年6月、もう梅雨だね。 太子の道、沢山歩けそうだよ。

 
 

今回の古都探索、JR法隆寺駅から歩くのは「太子道」。

筋違道(すじかいみち)とも言って、聖徳太子が住んだ斑鳩宮と飛鳥と結んでいる、太子の通勤古道だね。

かなり歩くと保津の環濠、実は太子道はこの辺りまでしか分かっていないんだ。

 

 


農家は古くから条理制と環濠集落の中で生活していました。

環濠の形態は様々あり、保津のものは最も単純な形式で、集落全部を環濠しており、一部支濠を持つものもあります。

集落内部は迷路が多く、内部から出口は限られ、これを木戸と呼び、明治中期まで門番をおいて引き橋がかけられていました。

農産物や家財道具を外敵から防ぐための農家の小さな城だったのです。

『現地案内を参照』

 

  
 

地元の案内の地図を見る、確かに集落全体が堀で囲まれている。

北には鏡作伊多神社、中央には誓願寺がある道場屋敷。

その中間あたりと屋敷の南西には井戸もあるらしいよ。

 
  「御幸石」

太子道の途中、飽波神社(あくなみ)、太子が座られた石だよ。

この神社は太子の飽波宮跡と云われている。

ずーと南の白山神社にも腰掛石があるね。

聖徳太子が座った古代、あまりに遠すぎて、座っている姿が想像できないなぁ。
 

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