南朝方で活躍した戒重(三輪)西阿の築いた六城の中の本城と云われています。 のち、戒重氏の子孫は越智氏に属しています。 戦国時代、戒重氏は岡氏、高田氏と共に誅伐され、その後は光秀が納めます。 元和四年(1618)、関ヶ原の功績で、織田有楽斎長益が入り、のち陣屋を築くのです。 『参考文献を参照』