高田城は中世、平田荘々官、高田兵庫頭為貞(本姓 当麻氏)の築くところ、のち大和武士として成長し、応仁・文明から戦国時代にかけて、最も強盛でありました。 天正八年、信長の大和検知に従わず、城地を没収され、つづいて筒井順慶の侵攻に合い、天正十一年八月、高田城主一族は滅びます。 城跡背後の常光寺墓地には、戦国将士の三界萬霊碑(天文二十四年)がありました。 『現地案内を参照』