筒井順慶、松永久秀の抗争は、郡山城と井戸城で争奪戦が行われています。
永禄十一年(1568)、筒井城落城、元亀元年(1570)、井戸城落城、のち郡山城だけが筒井方により死守、松永方はこれを落とすために四方に付城を築き包囲します。
元亀二年(1571)、筒井氏の主力軍が郡山城に集結し、辰市城合戦で松永軍を打ち破ります。
天正五年(1577)、筒井順慶は松永久秀の滅亡後、筒井城の拡張工事を始めたのですが、地形の不利から筒井城を残念、郡山城を本城としました。
天正八年(1580)、信長は大和国の郡山城一つ残して他のお城を破却、その上で筒井順慶の大和支配を許します。
天正十年(1582)、本能寺の変で光秀は、順慶の出陣を求めたのですが、順慶は籠城したまま動かず、秀吉のもとに参じて大和一国を安堵、翌年には天守を完成させています。
しかし二年後、順慶は世を去り、小泉氏から養子に入った定次が跡を継ぐのですが、定次も伊賀国へ転封、筒井氏時代は終わりを迎えたのです。
『参考文献を参照
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