荒平山城
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岡山県総社市秦
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岡山自動車道、「岡山総社IC]を降りてから国道180号線を西へ走ります。 「高梁川」から北へと川沿いを上り、JR伯備線の「豪渓駅」を過ぎてすぐ「豪渓秦橋」を渡ります。
橋の南側の標高191m山頂には荒平山城(あらひらやま)があります。 実際の登り口は1.5kmほど南の「厚生年金休暇センター」まで車で行き、そこから登りました。
2004年3月、「春よ来い」と言いながら、今年の冬も沢山のお城を楽しみました。 春が来るのは嬉しくもあり、また一つ季節が過ぎ去るのはさびしくもあり、そして今年最後の雪は「城跡探索」の想いを教えてくれたのです。
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「三の丸」
ここから北にある川上郡の成羽陣屋を見た瞬間、雪が舞ってきました。
この総社までは雪雲は来ていなかったので、登ることにしました。 |
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荒平山城主の川西之秀は備中松山城主・三村元親の親類で、経山城主・中島氏の一族でもありました。
天正三年(1575)、この総社市では木村山城に毛利元清、馬入山城に宍戸隆家、伊与部山城には小早川隆景が陣を構えました。
毛利勢はここ荒平山の山裾に火をかけ、炎上させて攻めたのですが、城から兵が打って出たために、毛利勢は退却しました。
これを聞いた小早川隆景は、中島元行を仲介として「領地を安堵するから毛利方につかないか」と伝えましたが、川西之秀は「数代、三村と親類であるから、毛利の味方にはならない」と言い、そして「籠城の兵を助けるなら、四国へと退く」と答えました。 その後、川西之秀は、児島から香川県の由佐氏方へ落ちていくのです。
この時に落ちた城は川上郡・国吉城から鶴首城、新見市の楪城(ゆずりは)、小田郡の猿掛城、玉野市・児島郡の常山城などです。
そして毛利勢は、総社市の鬼ノ身城を落とし、三村元親の本拠である高梁市の松山城へと兵を進めるのです。
『参考文献を参照』
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「展望台へ」
厚生年金休暇センターに車を置いてから、少し登ったところです。
左へは「麻佐岐神社(まさき)」、真っ直ぐに行くと城跡がある「展望台」へと続きます。
道がとてもいいので走って登ったのですが、この辺りに屋敷跡があったのかも。 |
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まもなく鳥居があります。
道はゆるやかにアップダウン、寒い3月だから走っても汗はかかないね。 |
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「金毘羅神社」
1kmぐらい走っただろうか、さすがに疲れてきたよ。 でも何故走っているかって、もう北の空は雪雲で真っ暗になってきたんだよ。 |
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「東の眺め」
北側半分は真っ暗になってきたよ、晴れた高梁川の流れも見たいよね。
早く、本丸に行かなければ。 |
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「堀切」
「三の丸」手前の堀切だよ。 土橋というのがあって堀に架かっているらしいのだけど、どこだったのだろう。
雪が舞ってきたよ。 別にびっくりすることもないのだけど、姫路から来て一人山の中だと、やっぱり気が焦るよね。 |
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ここを登れば本丸。 あっ、カメラのシャッターが降りなくなった。
西脇の比延山城で山から転がし、加古川の天神山城でレンズキャップを失くし、ほんとうに酷使してきたカメラ。 教えてくれたんだよ「そんなに慌てたら、城跡に申し訳ないよ」って。
真っ赤な太陽の下で、汗かきながらまた来るよ。 その時まで本丸は見ないことにする。
今年の雪も、今日で最後なのかな。 |
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