福山城
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岡山県加賀郡吉備中央町加茂市場
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山陽自動車道、「岡山IC]を降りて国道53号線を北上し、金川城のある「御津町役場」から県道31号線を宇甘川に沿って西へ走ります。 虎倉城を越え、加茂川町に入って加茂川中学校の200mほど西から366号線へと登っていきます。
1kmほどの「木の実」から山の道へ入ると、その標高368mの山頂には福山城(ふくやま)があります。
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ここは「福山城公園」、西側には緑がきれいに刈り込まれた城跡。
東側の狼煙台は落ち葉を掻き分ける城跡になってるよ。
この石積は、当時の物ではないかもしれない。
でもそれ以上に緊張が交差した瞬間だった。 |
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旭川を上ると、御津町には松田氏の金川城、西へ宇甘川沿いを走ると松田氏の家来・伊賀氏の虎倉城があります。 更に西、備中との境に福山城があります。
この福山城の話は、文亀2年(1502)に松田氏の家臣・高見源右衛門が築き、天正2年(1574)には伊賀兵庫が入ったと伝わっています。
明応6年(1496)、松田氏と浦上氏が龍の口城で戦い、その後も文亀2年(1502)に矢津合戦、翌年には牧石合戦が行われています。 この頃に福山城が築かれたことになります。
のち備前は宇喜多直家が支配する構図となり、直家は娘・美代を金川城主の松田元賢に嫁がせ、一方では、妹・梢(こずえ)を虎倉城主・伊賀久隆に嫁がせて味方につけました。
永禄11年(1568)、直家は伊賀久隆に金川城を攻めさせ、娘を嫁がせた松田氏を滅亡させるのです。
そして、伊賀兵庫がこの福山城に入ったのは、その五年後の天正2年となっています。
『参考文献を参照』
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加茂総社、ここの木はすごいよ、ほんと大きい木を見ると元気がでるね。
毎年10月20日に行われる備前加茂大祭は900年の歴史があって、県下三大奇祭と云われているよ。
この前の道を左へと車で登っていきます。
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途中、「木の実」という所から山道に入っていくよ。
何本もある別れ道には「福山城公園」という道標がある、でも途中から細くて土の道に変わる。
歩いた方がよかったかな、と思っていると急に降り坂、ワダチをそろりそろりと奥へ入っていきます。 なかなか着かないよ。 |
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黄色い花が一面に咲いた広い所に着きました。
とにかく降りて周囲を見ても、この一台。
誰か歩いてきた人がいるかな。
小鳥はさえずっていたけど、心の中まで聞こえてはいない。 |
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西側にある主郭の帯曲輪、所々に石がころがっている。
もう少し奥に行ってみたいけど、でも半分ぐらいで引き返した。
主郭は誰かいればキャッチボールができそうな広さだよ。 |
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車を置いてる所から反対側の小山に登ってみた東の曲輪だね。
この登り口の右下に、一番上の写真の石が積まれていた。
そこから下に降りて、木を掻き分けて進むと、三角状に積まれた石が数箇所あった。
汗が目に入る、袖口で汗をぬぐう。 もっと下に降りていいのだろうか、いや引き返して上に行こう。 |
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曲輪の先端には竪堀らしきくぼみがある、見えないところまで。
見れば見るほど落ちそうな気持ちになる。 |
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大きな石、小さな石の狼煙台。
無造作に並んでいる。 石を踏まないようにゆっくりと登ってみた。
山の先端、そっと見上げる。
石の上に祀られているのは「小さな祠」、はりつめた気持ちから、再び汗が流れた。 |
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これは主郭からみた西の風景、備中松山城や佐井田城がある方向だ。 こんなに高い所に登ってきたのか。
帰り道、ゆっくり走るつもりが、足の緊張は深くアクセルを踏みそうになる。
時間にして一時間、山麓の神社はいつ通り過ぎたのだろう。 |
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