船山城
岡山県岡山市原

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  山陽自動車道、「山陽IC」から37号線を北へ「下市交差点」から27号線を西へ走ります。 旭川を越えてそのまま1.5kmほどの「中原橋」あたりを西の集落に入ると、標高50mの船山城(ふなやま)があります。

ここは備前、旭川の西岸にある須々木氏のお城、暑い夏はもっと下調べをしなければ歩けないよ。

 
  本丸跡には「お宮と石碑」があります。

後で地図を見ると、龍之口城と船山城は旭川を挟んで両岸に構えています。

そして宇喜多直家の家臣・岡剛介が龍之口城を落とす前にうまく入り込んだお城だったのです。
 

 


この船山城には鎌倉時代の後半頃、須々木氏が居城していました。

永禄二年(1559)、備前の宇喜多直家は西の勢力を広げる為、金川城主松田氏の有力名主・さっしょう氏が守る龍之口城を狙うのです。
 
さっしょう氏と須々木豊前行連はともに松田氏の家臣でありながら仲が悪く、それを知った直家の家臣・岡剛介は名を隠して最初船山城へ入りました。

永禄四年(1561)、岡剛介は須々木氏に半年間奉公し、頃合良しとみて名馬を盗み船山城から追われる演技をして、龍之口城に助けを求め入り込むのです。 岡剛介は城主・さっしょ元常の首を取り、そして龍之口城を落しました。

永禄六年(1563)、今度は備中の毛利氏と結んだ三村家親が東へと攻め、まずはこの船山城を降伏させると、須々木氏は三村氏の配下となります。

永禄九年(1566)、三村家親が興禅寺に陣を張っていた時、直家の刺客により暗殺されると、三村一族は報復として、直家が守る明禅寺城へ攻め、三村氏の配下である岡山城主・金光与次郎、中島城主・中島大炊、そして船山城主・須々木氏に沼城を包囲させました。

永禄十年(1567)、この明禅寺合戦で宇喜多直家が勝つと、須々木氏は直家の傘下に申し入れるのですが、直家はこれを認めず、領地を没収して廃城となりました。

『参考文献を参照』

 
 

  「神社の鳥居」

山麓からコンクリートの階段と道、気持ちよく登れるよ。

その道沿いに石が並んでいたのが気になったけど、快適なのでトントンと山頂に着いてしまいます。
 
  東には旭川、そして龍之口城がある。 龍之口城は一年ほど前に行ったけど、向こうから見えてた山はここだったのか。

少し南には須々木豊前の子・四郎兵衛の明見山城もあるけど、また秋に行くことにしよう。
 

  
  本丸の裏には土塁と所々に石が見える、そして大きな堀切は歩いている道までも波打せているよ。

東側(旭川)には一部石列があるらしいが、急な斜面なので行けないよ。
 
  「夏だよ」

奥には二の丸が続き、更に堀切があるらしい。 井戸も4ヶ所あるらしいが分からず、もうこれ以上は歩けないよ。

ずーっと奥には備前国有数の名刹・金山寺がある山々、南には沖積平野、東に旭川が流れている。

須々木氏の事、岡剛介の話。 もっと調べてから来るべきであった、この道もまだ夏だよね。
 

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