南田集落の南側、北へ延びる狭く細長く尾根(標高700m付近)には、中世の山城跡が残っています。
この城を波作利城(または波佐利城)といわれています。
6つの郭面を南北に連ね、その外側にも郭面を2つ設けています。 また、郭面の間には4本の堀切が作り出されています。
このほかに、土塁や小規模な石積みも頂上付近にみられます。
「作陽誌」によれば、室町時代、この城は赤松氏の家臣、岩倉晴時の居城でした。 しかし、康安2年(1362)因幡伯耆の守護である山名時氏・師氏父子の攻撃によって落城し、春時もまたあえない最期を遂げたと云われています。
『現地案内を参照』
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