日上山城
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岡山県苫田郡鏡野町国成
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中国自動車道、「院庄IC」から、国道179号線を北へ走ります。 鏡野町の男女山公園のトンネル手前「釜の口交差点」から392号線を香々美川沿いに北へ5kmほど行くと「小瀬甫庵翁の碑」があります。
この碑の背後の小高い山に日上山城(ひかみやま)があります。
「太閤記」を書いた小瀬甫庵(おぜ・ほあん)、2004年4月の山城は、本では分からない事を沢山教えてくれてるよ。
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下に流れる香々美川、山間をつなげる水田、ポツリポツリと見える民家、そして周囲の高い山々。
ほんと素晴らしい眺めだよ。 |
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永禄七年(1567)、日上山城主・小瀬勘兵衛政秀の長子として小瀬甫庵翁は生まれました。 幼少より向学心に燃え儒学者・藤原惺窩に師事、併せて医学、軍学・史学・易学にも長じていました。
若年より宇喜多氏に従い多くの武功があり、一時豊臣秀次に医術を以て仕えたといわれています。
又、堀尾吉晴に仕えたときは松江城構築に功があり、吉晴亡後は浪人して政治、道徳の正道を求め学問の研究著述に専念し多くの著書を刊行しています。
晩年加賀の前田利常に仕え名著書太閤記を公にし、寛永十七年(1640)、七十七歳で没しています。
『現地案内を参照』
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「小瀬甫庵翁の碑」
この後ろにある山が日上山城だよ。 横にある「小瀬甫庵翁の説明」を読んで、びっくり。
少し前に三木市に行った時、「藤原惺窩」の生誕地に行ったからね。 本当に、歴史と人物はつながっているんだよね。 |
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「登城道」
碑がある所から香々美川の橋を渡り、左から回り込むように裏から登ります。 とても整備されてるよ。
とボヤーとしていると、反対側にある「三曲輪」を忘れるよ。 整備された道はボヤーとしてはいけない事を教えてくれたよ。 ボヤーとしてたよ。
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「日上山神社」
道の最後は15mほどいっきに登ります。
「一曲輪」「二曲輪」「水の手」の道標が並び、ここには「腰曲輪」とありました。
「腰曲輪」は小さく削った平面という意味、またひとつ覚えたよ、勉強になるね。
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「堀切」
けっこう急な竪堀の横を登ると、この堀切だよ。
「堀切」とはっきりと書いてくれてる、自信が出てくるね。
話は違うけど、鏡野町のホームページのイラストマップは「日下城」になってるけど、「日上」だよね、あまり自信はないので見たら確認してみてね。
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「一曲輪」
ここから下の「碑」がある所を見ると、幸山城・駒山城以来、久しぶりに足がジンジンしたよ。
ところで最初に「水の手」とあったけど、石で囲まれた井戸とは違うのかな。 「水の手」だけが分からなかった。 |
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「東の山」
一曲輪から見える山、標高645mの枡形城があるところかな。
「うっ」と身構えてしまうよね。
何気なく探索に来た日上山城、「太閤記」の著者小瀬甫庵のお城は今まで知らなかった事を教えてくれました。
沢山の子供達を連れ、必死で予習した事を話さなくても、一時間ほどで沢山の事を覚えてしまうよ。
そんな教え方ができる城跡だね、でも整備された道では忘れないようにね。 |
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