鴨山城
岡山県浅口市鴨方町鴨方

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  山陽自動車道、「鴨山IC]を降りてから64号線を南へ走ります。 「本町交差点」を西に入ると、そこは「鴨方往来」と呼ばれる街並で、その街の北側には標高165m山頂に鴨山城(かもやま)があります。

2003年7月、室町幕府の三管領として勢力をもった細川氏、備中乱世の渦は名門の城跡さえ見えなくしてしまうのです。
 
  旧鴨方往来道から、細川氏の菩提寺である長川寺の「細川通菫の墓碑」があるところから、石鳥居をくぐって登りました。

写真にはないのですが、石鳥居は背が低いので帰りにウサギ走りで降りていると顔面を打ちそうになりました。

顔をケガするよりも、こんな鳥居を落としたらどうして元にもどそうかと冷や汗です。
 

 
細川氏はややこしいので、整理してみると

1.備中国衛を支配していた幕府管領(かんれい)の細川氏。
2.備中国守護であった細川氏。
3.浅口郡知行主、この細川氏が鴨山城主です。

室町幕府には将軍を補佐する「管領(かんれい」と、京都内外の警備や刑事裁判をおこなう「四職(ししき)」という制度があり、管領には足利氏一族の「斯波」・「細川」・「畠山」が交代で就任したので、三管領と呼ばれていました。 また四職には「赤松」「一色」「山名」「京極」が任命されています。

この管領には、細川氏の嫡流である頼之・頼元・満元・持之・勝元・政元と続き、武家の名門としての地位を拡大していきました。

同時に、細川氏一族は備中・備後・淡路・讃岐・阿波・河内・和泉諸国などの守護となって、頼之・満之・頼重・氏久・勝久・之持・政晴が代々継いでいます。

そして、頼之の孫・満国が備中浅口郡の領地、つまりこの鴨山城を築いて持春・教春・政春・晴国・通政・通菫(みちただ)と続くのです。

細川氏系は奥が深いので、この辺りで挫折しているとは思いますが、それでは、本文。



歴史の時間に出てくる「東山文化の銀閣寺」を建立した八代将軍・足利義政の頃、幕府の実権は管領・細川勝元が握っていました。 義政は次の将軍を弟・義視にしようとした時に、妻の日野富子との間に子・義尚が生まれ将軍の後継ぎをめぐって富子と義視は対立しました。

日野富子は山名宗全(持豊)を頼り、義視は管領・細川勝元を味方につけ、そこに斯波・畠山などの管領家や守護大名家の内部家督争いも重なって、ついに応仁元年(1467)、備中守護の細川勝久も勝元とともに東軍として戦い、やがては本格的な下剋上の乱世に入っていくのです。(応仁の乱)

ここ備中においても、守護細川氏の家臣であった守護代の猿掛城主・庄元資は、応仁の乱により細川氏の支配力が衰えてくると、やがて独自の行動を開始し、延徳3年(1491)ついに細川勝久に対して謀反を起こすのです。

京都にあった勝久は急いで軍を率いて帰国し、庄元資を討ち破って和睦したものの再び守護の権威は戻りませんでした。 同じように鴨山の細川氏の周囲にも、戦国時代を駆け登ってきた東の宇喜多直家、北には庄氏を破って備中松山城に入った三村氏などの強き力の渦に巻き込まれていくのです。

六代目・通政の頃には支配力はすっかり衰え、この地を保つことさえ出来ず伊予で死没し、代わって伊予の川之江城にいた七代目・通菫が、毛利氏の援助を受けて失地回復に乗り出し、永禄二年(1559)、まず笠岡市大島に青佐山城を築き、七年後には鴨方町に竜王山城、さらに九年後の天正三年(1575)に父祖の築いた鴨山城に復帰を果たしたのです。

しかし通菫は勢力回復に努めるものの、 この頃には管領・細川自体も滅亡しており、毛利氏の一客将として三村氏を攻撃する時の国吉城攻略への参陣や、また備中高松城の救援に毛利氏の陣に加っているのです。

豊臣政権下で、通菫は毛利氏とともに九州攻めの先鋒を勤めるのですが、天正15年(1589)帰国の途中に赤間関で没し、そして子・元通がこの鴨山城を去ったあとも、渦だけが静かに回っているのです。

『参考文献を参照』

 

   
城跡にある自然石
  この石はほんの一部で、山頂近くには大きな石がいっぱいあります。 傾いてこないかと祈るように、腰をかがめながら先までいくのはほんと恐いものですよ。

でも、どうやったらこんな形になるのでしょうね。 ほんと、わからないです。
 
宮の石橋
  鴨神社の随身門下にある石橋です。

「鴨方に過ぎたるものが三つある、拙斎、索我、宮の石橋」と謡われています。

拙斎は江戸時代に塾を開いた人で、索我は画家ですが、「過ぎたるもの」の意味をどう解釈したらいいのかわからないのです。
  

  
旧高戸家住宅
  「旧高戸家住宅」

江戸時代に鴨方藩の庄屋を世襲して、油商などを営んだ家で、藩主の宿泊や文化人の交流の場としても使われていたそうです。

鴨山城は今までの城跡とは少し違った雰囲気を感じます。

よくわからないけど、それは細川氏の奥の深さに巻き込まれた渦を見ているだけなのかもしれない。
 

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