虎倉城
岡山県岡山市御津町虎倉

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  山陽自動車道、「岡山IC]を降りて国道53号線を北上し、JR金川駅から31号線を西へ走ります。 宇甘川の景色を楽しむと、やがて虎倉トンネルが見えてくるので、その手前で左側へ曲がり市場集落の橋を渡ります。 その集落の背後には標高327m(比高227m)の山頂に虎倉城(こくら)があります。

 
  前日から東の六甲山に行く準備をして、姫路の家を出発。 しかし姫路バイパスを西向きに岡山へと向かいました。

岡山県の地図を持っていなかったのですが、御津郡の金川城から宇甘川を西へ行くと虎倉城。 と覚えていたので、なんとか来ることができました。
 

 


虎倉城跡は、城山山頂に築かれていた中世の山城です。 十五世紀後半に金川城(玉松城)の出城として服部伊勢守が築いたといわれていますが、詳しいことは分かりません。

十六世紀前半に伊賀氏の居城となり、以後三代にわたり城主となりました。 十六世紀後半の伊賀久隆の頃が全盛で、宇喜多氏の有力武将として、備前国北西部から備中国東部を支配しました。

やがて宇喜多氏と対立し、子の与三郎は虎倉城から出ました。 その後、長船越中守の居城となりましたが、天正十六年(1588)、一族の争いで城は焼けてしまいます。

虎倉城跡のある城山は急な山で天然の備えとなって、また、主要交通路の金川と高梁を結ぶ道、現在の県道高梁・御津線を見下ろすことができる重要な所です。

虎倉城は連郭式山城で、慰霊碑のある郭から東へ200mの山頂に本丸があり、本丸から東に二の丸、出丸が、西に三の丸があります。

郭の先には堀切が設けられ、本丸は石垣で築かれ、35×25mの広さがあり、瓦片も見つかっています。

虎倉城は重要部に瓦ぶきの建物が建ち、土塀が巡るしっかりした城であったのでしょう。 しかし、この城は戦いの時に備えた城で、ふだんは山麓の根小屋で生活していたようです。

『現地案内より』

 

  
虎倉城の山
  「虎倉城の山」

11時、橋の手前でおばあさんに登山口をたづねました。
「お昼ごはんを食べたら、一緒について案内してあげるよ」と。 うれしかったよ、でも一人で行くことにしたよ。
 
お宮
  「お宮」

この橋を渡ると、お宮があります。

そこの城の説明では、山の丁度真ん中あたりから登るルートが書かれていましたが、今回は左回りで、城の後ろから入るコースで登りました。 ここは道が細いから気をつけてね。
 

  
小川の音
  「小川の音」

少し手前の舗装の最後に車を置いて登ります。
水の音と落ち葉を踏む音、これだけでも十分だよね。 しばらくはこのような山道が続きます。
 
土橋
  「土橋」

ここに城説明板があります。 よく見ると堀切になっているよ。
 

  
供養塔
  「供養塔」

出丸には伊賀氏と長船氏の供養塔があります。
 
堀切
  「堀切」

出丸から三の丸へ行くと、堀切があります。
すごく大きいよ。右側へ登ったけど、そり落ちそうだった。
 

  
本丸の石垣
  「本丸の石垣」

本丸横には、わずかながら石があります。 きっと本丸の周囲には土に埋もれているんだよね。
 
井戸
  「井戸」

久しぶりに井戸を見ました。 かなりしっかりと石で固められています。
 

  
二の丸
 

「二の丸」

本丸から二の丸へは竹がいっぱいです。 途中に窪んだところが二箇所、池だったのかな。 その辺りにも石垣があるはずだけど、わからなかった。

でも、こんなに沢山見たのも久しぶり。 とてもうれしいよ。

 
山麓の石積み
 

「山麓の石積み」

車を置いたところに、大きな石積があるよ。 帰りに気がついたよ。

山麓で生活していた時の館があったのかな。 すごく沢山あるよ。

もう嬉しくて嬉しくて、何度も後ろを振り返りながら、おばあさんにも「ありがとう」と言ったよ。

 

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