西江原小学校の西側の道を南へ、486号線「東新町交差点」の辺りは、中堀城(なかぼり)の西の端と云われています。
「地蔵堂」の由来、古城址中堀城には、千幕山金毘羅大権現、中堀位三社、地蔵堂一字の御鎮守が祀られていました。 中堀城を築いたのは那須与一から四代の苗裔刑部左衛門尉頼高が二男・弾正忠光隆で、西江原村史によれば中堀とは地名で自然の地形に恵まれた要害城であったと云われています。 城内の土井屋敷に鎮守として祀ってあった地蔵堂を享保年中(1716−35)に至り、中堀城の西端にあたる当所(水落)に移遷されたと記録に残されているのです。 『現地案内を参照』